13年間だけ存在した「満州国」

満州国は、1932年から1945年まで存続した中国東北地方と内モンゴルを主な領域を日本が占領していたと言われています。

満州国が滅んだ理由は敗戦直前に突然、ソ連(旧ロシア)が日ソ中立条約を無視して満州に侵攻したために、満州国は崩壊しました。

そもそも論ですが、五族協和をかかげた国家の満州なんです。日本の傀儡(かいらい)国家であると言われていますが、この傀儡という言葉の意味ですが、操り人形のごとく、思うがままに人を操るということ、日本人が酷い事をしていると言われているのです。

満州事変がそもそものきっかけとなりました。関東陸軍が仕掛けた罠という事になっています。第二次世界大戦後に判明したと言われています。石原莞爾らが中心になって満州事変が起きたことになっています。関東軍の最初の構想では確かに、日本(陸軍)が直接統治することであったかもしれないですが、結局中国の主権尊重と領土保全を決めた中国に関する九カ国条約に違反し、国際的な非難が起こることを懸念してましたし、満州人(清の国民)を中心に現地で中華民国からの独立運動が起きたのです。そうして、新国家が建設された、という動きだったのです。

日本が主導権を握っていたのも、満州国建国前、清朝の崩壊当時、100~1000万人程度の人口の遊牧の土地であり、馬賊が横行していました。そのために、住民は非常に苦しめられていたのです。食料も見渡す限り荒地で、作物も育たず、苦しんでいました。そこを見た日本人が、この土地を開拓しようと考えたのです。

大豆を育て、ヨーロッパに売るために鉄道を敷いたり、国として成り立たせるためにと色々知恵をもって繁栄させていきました。

満州国は、漢人・満州人・朝鮮人・モンゴル人・日本人の「五族協和」と「王道楽土」を掲げ、独立国家としていました。

それを海外からみたら日本人を悪く言うんですよね。満州事変があるからでしょうか?馬賊の張作霖爆殺事件のこともあったからでしょうか。

満洲国建国は、平和な国に対して、軍隊を送り込み外国の領土を略奪したと認識している日本人は、多いのではないでしょうか。馬賊だった張作霖の政治は税金を多く取り立てて自分だけ裕福な暮らしをしていました。国民からの不満もあり、日本軍は動いたと言えます。

陸軍が張作霖の暗殺を企てたのも、日本政治側には一切知られていなかったと言われています。陸軍が勝手に動いていたと。

満洲事変と満洲国建国を正しく理解することは、日本が侵略戦争を起こしたのではないとの理解に繋がります。

本当の日本人がしてきたことを知る事は、本来の日本人の心を理解することではないかと思います。

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