恐怖と快楽

昨日の夢で、パラグライダーに乗っている夢です。いきなりなんでこんなところに居るんだろうという感じですが、空を飛んでいるんです。下は海です。しかも一人で。まるで鳥です。座ってますが。

気持ちいいという事より、こんなに高いところで、危ないという気持ちです。どうして一人なんだ?と。

私は高所恐怖症で、はしごで登るのも怖い。下を覗き込むのが恐怖になるのは分かるのですが、見てしまう。しかし、この恐怖がだんだん恐怖でなくなるからすごい。夢だからなのか?これは、持続する恐怖から、ゆっくりと安心感にかわるのかもしれません。

落ちないんだという事がわかるからでしょうか。

勿論、現実では乗りたくないです。血の気が引くのがわかります。

なぜこんな夢を見たのでしょうか。リーディングによると、
俯瞰することで今の状況が見えてきます。自分だけの中で危険と感じるのではなく、周りの状況を含めて危険度を見なければならない、おだやかな海であれば、危険度は低い、後は落ちついて自己コントロールすればいいという教えのようです。

 

恐怖の中でも、私はジェットコースターは好きなんです。下に向かって落ちる瞬間の恐怖感はあるものの、面白かったとなる。

不思議ですね。どちらも恐怖はあるものの、絶対にのらないというのと、面白かったとなるのと。

同じ恐怖感なのに。

ジェットコースターであれぱ、また、乗りたいと思うし、もっと強烈なのを乗ってみたいと思ってしまうのです。快楽じゃない体験なのに、もっととなるのですから。

そうそう、静電気も痛いですけど、別にそこまで、恐怖感はありません。このくらいの痛みは我慢できますから。

血糖値を測るのも指先に針を刺します。痛くないと言ったら嘘です。でも、まあ、問題ないです。

やせ我慢ではなくて、気取っているのでもありません。なぜ恐怖が恐怖にならなくなるのか。

心理的な理由はあるのでしょうか。リーディングしてみました。

気が緩んでいる瞬間ではなく、自分で覚悟をしている状態と言うのが一つあると言います。想定している恐怖より低いために、なーんだという事なのでしょう。大丈夫という安心感が出てくるのでしょうか。もっと行けると思う事はあり得る。想定外の恐怖や痛さだと二度とイヤとなることでしょう。

ジェットコースターに関して言えば、その恐怖は快楽に繋がるドキドキ感なので、錯覚している可能性があるようです。好きな人に会う時のドキドキ感と間違えているのでしょう。

痛みで言えば、もっと痛いのを経験しているから、このくらい大したことないという頭脳が感知していそうです。そういう意味で言えば男性より、女性の方が痛みに強いというのもなんとなくわかりますね。

私は尿管結石を経験しているので、のたうち回るほど痛いですから、それに比べたら、静電気や血糖値を測るのも大した痛みにはなりません。一瞬ですしね。できればやりたくない痛みですが。