大久保利通

大久保利通は明治維新の元勲であり、西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と言われています。

写真をみていても、変わった髭の人という印象です。天然パーマの髪の毛なので、髭も同じなのかもしれません。

この方、1871年に大蔵卿(大蔵省の長官)となって,近代産業技術を取り入れた資本主義的の生産方法の「殖産興業」と所有の土地に対して「税制」を取り入れています。

また、有名な岩倉使節団の一員として世界をみてきた後,強い権限をもった内務省を創設ました。二年後、1873年には自ら内務卿となり、政府の事実上のトップになりました。今でいう総理大臣になります。

この方をリーディングしていくと、髭が・・・鼻毛に見えてくる。実際は勿論髭なのに、どうしても鼻毛が髭になっているように見える。

多分周りから嫌われていたように思います。鼻の下の汚れは周りから嫌われているという意味があります。

それがとても印象深い。

あと、おしゃれです。洋服とか身なりをすごく気にする人だと思います。ナルシストかもしれません。

さて、この方の性格を裏付けていきます。

西郷隆盛とは幼なじみ同士です。同じ町内の仲でした。しかし、二人は決別していきます。

その発端は、1873年6月、外務少輔の上野景範が「朝鮮政府が日本の国書を拒絶して使節を侮辱し、朝鮮に住む日本人(居留民)の安全が脅かされている。彼らを朝鮮から撤退させたほうがいいのか、それとも武力をもって修好条約の締結を迫ったほうがいいのか。政府の裁決をあおぎたい」と報告。議案をもとめてきたことから、二人の問題の決別の考え方が見えてきました。

この時、西郷は太政大臣・三条実美に送った「朝鮮国御交際決定始末書」という意見書が残されています。

「かの国(朝鮮)はわが国に対してしばしば無礼な行いをして、通商もうまくいかず、釜山に住む日本人も圧迫を受けています。とはいえ、こちらから兵士を派遣するのはよくありません。まずは一国を代表する使節を送るのが妥当だと思います。暴挙の可能性があるからといって、戦いの準備をして使節を送るのは礼儀に反します。そのため、わが国はあくまで友好親善に徹する必要がありますが、もしかの国が暴挙に及ぶのであれば、そのときはかの国の非道を訴え、罪に問うべきではないでしょうか」

西郷が乱暴な手段を好まず、外交によって朝鮮との関係を構築しようとしていたのです。

西郷が「自分が出向けば朝鮮を絶対に説得できる。武力を使わないで行ける」と思っていたのに対し、大久保は「朝鮮との交渉がうまくいくわけがない」と思っていたとみられ、両者の思惑には相違があり、どうにかして大久保は西郷の行動を阻止しようといろいろな手を使った。

ここは、西郷の独断的な行動に見えて、疎ましく思っていたように思います。

その後、大久保の強引な手法で、最終的に西郷の朝鮮派遣は中止に追い込んでいく。土壇場で覆された西郷は職を辞し、ほかの征韓・遣韓派の参議もこれに続いた。

大久保の言葉だが、西郷の朝鮮派遣の際には「対外戦争は避けるべき」と主張したが、結局、台湾や朝鮮に派兵している。

現に木戸孝允は、「征韓論を否定しておきながら、台湾に出兵するのは矛盾している」と抗議していた。

そういう人物なのが大久保利通。