日本三大怨霊
①菅原道真 ②平将門 ③崇徳天皇 と言われています。
①菅原道真は有名ですよね。受験でお参りに行った方もいらっしゃるでしょう。私も天神様の事だと知ったのは随分後からでした。そういえば通りゃんせの歌は菅原道真の歌だったんですね。行きはよいよい帰りは恐い。という歌です。
この三人は西暦903年 西暦940年 西暦1164年 いずれも平安時代の方々です。今に至るまで恐ろしいと言われ続けています。
道真は陰謀によって大宰府に流されました。彼は、そのことを恨み、陰謀に関係した人々を雷で打たれなくなっていきました。そして、左大臣 藤原時平も突然死。 皇居にまで落雷が落ち、醍醐天皇まで体調を崩しました。これは菅原道真が怨霊・雷神になったと言い伝わっています。
②平将門は叔父たちに親から譲り受けるはずの土地をとられ、叔父たちを相手に戦をするが朝廷を味方にしたために、狙われるようになる。やがて、将門は国府焼き討ちに発展、印綬を奪い取りって、新皇を名乗り、朝廷の怒りを買い戦になりました。将門は戦いに負けて、京都でさらし首に。その首が胴体を探して関東まで飛んで行った。
現在も東京のど真ん中に首塚があります。それを移転しようとするたびに不幸が起きているという言い伝えがあります。
③崇徳天皇は皇族の即位争いが起こります。とうとう保元の乱にて敗退。讃岐に流されたのだが、そこの生活がとても苦しかったという。お経を書いたが送り返され、その怒りに自分の舌を切ってその血で皇族に呪いをかけたという。
すると度重なる飢饉と洪水がおこり、皇族が次々と亡くなりました。そして大火事が何度が起こり、人々は崇徳上皇の祟りだといっていました。朝廷は崇徳上皇の魂を慰めるため、「崇徳院」を建てたといわれています。
今回は②の平将門をリーディングしてみました。
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