何故戦後、新興宗教が多くなるのか

あくまでも私のリーディングでの回答なので、専門家の回答ではありません。

新興宗教は伝統ある宗教「神道」とか、「仏教」など以外の宗教を指しています。

日本の伝統の宗教で言えば神社やお寺などが各地にあります。身の回りに日本は伝統宗教があります。

しかし、日本人は無信教だと言いたがります。区別しているのは新興宗教の事なのでしょうか?

神社の氏神様の事を言うだけで、マインドコントロールと言う無知な人もいます。こっちがびっくりしてしまう。

日本人は無信教ではありません。

どんなに神道や仏教を消したくても消せないのが今の日本です。その代わり伝統以外の新興宗教がでまわりました。それも、仏教系のが殆どだと思います。勿論天照大御神を中心にしているのも探せばあるのかもしれませんが?

神の話をすれば、煙たがられるようになったきっかけは、やはり無理強いする〇〇学会とかが始まりで、〇〇をしていけば幸せになる。徳が積まれるとか、そういう宗教が戦後多くなりました。戦争に負けて心が折れている時にこういうことをさせたのはいったい誰でしょうか?アメリカ人ではないかと疑いたくなる。

新興宗教を目の敵にするのもですが、伝統なる宗教も新興宗教と同一視していくマスコミのやり方は「誰かがそう伝えろ」と言わんばかりではないだろうか?と思ってしまいます。

宗教の自由と言ったのは憲法です。GHQの策略があったのではないかと思います。日本の信仰心をつぶせとなっていたのではありませんかね?

私はかつてユダヤ人についての卒論をかいていました。何十年も前からユダヤ人は裕福だというは知っていました。そこで、何故なんだ?という問いかけの論文を書こうとしたのです。

当時の教授は「宗教を知らないと人種という事を語ることは出来ない」ということで、ユダヤ教の宗教心について書いたことがあります。

選民という言葉を言いそうですが、違います。彼らはそんなプライドの問題ではありません。「絶対の神のいう事が全てでした」それが旧約聖書です。

日本にはバイブルがありません。市民は親から教わる宗教心だけです。祝詞も知らないし、お経も般若心経がせいぜいではないでしょうか。あるいは、「南無妙法蓮華経」を万毎回と唱えなさいというそれだけでいいと言う宗教もあるようです。

大昔の日本はお年寄りの教えが宗教心のようなものでした。農民が殆どの時代から、神の恵みと言いつつ、神を敬う人種だったと思います。

その神々は山や太陽、雨、海、など、自然界を敬う事をしていました。そして悪い子にしないように「罰が当たる」と躾していました。神に対しての謙虚心を養っていました。今では生意気な子になれば、「神なんていないよ」と言わせてしまうようになっています。

今はその神をも超越していると言わんばかりに、人間がつくるものの優越争いで謙虚心を忘れているように感じます。マインドコントロールという言葉で日本の伝統宗教すらも馬鹿にしていく。

そしてお金が全てとなり、強いものに巻かれる社会になってしまいました。今の政治家がその表れではないかと思いませんか?

アメリカ属国になり、政治家は嘘だらけ、これ以上どうやって日本を立て直すのでしょうか?自分さえよければの時代です。

神の話をすれば、マインドコントロールの言葉で本来の日本人魂が壊れていくように思えてならないです。

そして神様はそれを各自が理解するまで見届けているように思います。若い人たちに本当の日本人魂に気が付いてほしいです。

今の親はきっとそれを教えることが出来ないと思います。若者が自ら、歴史に興味を持ち、(教科書じゃダメです)嘘を見破る人になってほしいです。

そして、今の日本の政治家では日本は無くなると想像してほしいです。

最低でも戦争は何故起きるのか?誰が操作しているのかくらいは、自ら興味をもって調べて理解してほしいです。

出来ることなら、きちんとGHQについて、プロパガンダについてを吟味しながら、わかった振りをするのではなく、掘り下げる気持ちで取り組んでほしいです。若者へ未来を変えていく人になってほしい。「誰かがやる」という今の日本人の思考ではダメなんです。

教育

Posted by Meatel