小野妹子
607年、聖徳太子の命令により、遣隋使として隋(中国)に派遣されました。隋(王朝)とは (581年〜618年)の中国です。
小野妹子は男性です。彼が中国へ渡り中国の政治や文化などを持ち込んできました。そして仏教が入ってから、中国へ僧侶が渡って学ぶようになり、日本で仏教が盛んになっていきます。
日本からのお手紙を持って行ったのですが、無礼な手紙を目にした煬帝は、ただちに外交官を呼びつけ、「次にこんな国書が来たら、二度と俺に見せるなよ」と叱りつけていますが、
にもかかわらず煬帝は、そんな日本の国書を受けとり、妹子に危害を加えずに、答礼使の裴世清をともなわせて帰国させました。
しかし、この時、妹子は隋の煬帝から与えられた大事な返書を、帰国の途中、百済の人びとに取られてしまいました。
あらら、こらら、です。
しかし推古天皇はお許しをし、彼は遣隋使を続け、大徳冠という大和政権の最高位まで上り詰めました。
彼の姿をリーディングで見ると、冠位十二階という最も高い「大徳」になっているのですが、頭の毛がない。冠がかぶれないと言っています。紐で顎に結んでも落ち着かないそうです。髪の毛が無いので、引っかかるちょんまげが作れないから仕方ないですよね。
それで、白い布をスカーフのように頭に巻いているように見えます。なんか弁慶のような?感じ。
別の日に何度見ても同じお姿でした。
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