物部氏は仏教を受け入れていた?

物部一族は、神武天皇が近畿に来る以前より先に、大和の地に降り立った「饒速日命(にぎはやひのみこと)」を祖先とします。

神武天皇の先祖は天照大神です。大和を平定した日本国の創始者・初代天皇。天照大神 あまてらすおおかみ の直系子孫です。

日本書紀には天皇家が絶対の存在と記しているが、物部氏に関しては、同じ天神の子孫と伝えています。

つまり、物部氏は日本神話の神を先祖に持つ一族だったのです。神武天皇の伝書にも物部氏は登場してきます。(「饒速日命(にぎはやひのみこと)」の別名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)、天火明命(あまのほのあかりのみこと)、天照國照彦天火明尊胆杵磯丹杵穂命(いきしにぎほのみこと)と表記される。)

その物部氏は歴史上滅んでしまいました。

よく読んでいただければカゴメ、カゴメの童謡と関係しているようです。

教科書では、物部は神道、蘇我は仏教で、587年丁未の乱(ていびのらん)が起き、物部は滅んだと習いました。

しかし、物部の別荘地には「お寺」があったという渋川寺跡の「渋川天神社」があります。これについての論議はいろいろあるようです。

もしかして、最初から頑なに仏教を嫌っていたのではないのかな?と思ったり。後から寺ができたのかを調べているのですが、はっきりした年数を見つけられなかったです。
一時期でも受け入れてみたけれど、疫病や飢餓状態が起こったのでこれは他の宗教を入れたからと猛反対したのかもしれない。

物部は石上と替えたり、歴史もかなり古いのでどうしてどうなったの事がよくわからない。学者も古文書を当てはめているのですが、書物によって年代がずれていることが多いので、何処を絶対の年代にするかで見解が違っているのが現実の歴史になっています。

そこで、物部氏の古い先祖をリーディングして見ていきたいと思います。

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