伊能忠敬は厳しい人
日本地図を殆ど狂いなく描いた伊能忠敬
測量を50歳から学び始めた上に、5年後の55歳には蝦夷地に行き、測量を開始します。
蝦夷地の測量から、東北、関東、東海、北陸、近畿、中国、四国、九州と日本全国を歩いて測量してまわりました。
1800年 | 55歳 | 東北・北海道南部測量 |
1801年 | 56歳 | 関東・東北東部測量 |
1802年 | 57歳 | 東北西部測量 |
1803年 | 58歳 | 東海・北陸測量 |
1805年〜1806年 | 60歳〜61歳 | 畿内・中国測量 |
1808年〜1809年 | 63歳〜64歳 | 四国測量 |
1809年〜1811年 | 64歳〜66歳 | 九州第一次測量 |
1811年〜1814年 | 66歳〜69歳 | 九州第二次測量 |
1815年〜1816年 | 70歳〜71歳 | 伊豆七島測量(伊能忠敬は不参加) |
1818年 | 73歳 | 死去 |
1821年 | 大日本沿海輿地全図完成 |
伊能忠敬の測量方法は、導線法、交会法と天体観測を組み合わせて測量していました。ちなみに伊能忠敬が、距離を測るために用いたのが自分の歩数ときいています。伊能忠敬の一歩の歩数は69cmでした。
伊能忠敬に比べ自分は、もう、歳だからという言い訳して、手を付けない事がいくつあったろうと恥ずかしく思います。
この凄い方のリーディングをしてみました。
絶対歩けない場所もあったと思います。絶壁なところもあるだろうし、岩だらけで歩けない所も。そんな時は、高い所から距離と角度を観察していたよな場面が見えてきました。
険しいところで、
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