武田信玄は細身だった
武田信玄は甲斐の国山梨の将軍です。最後は3年間自分の死を伏せていました。
信玄と言えば、「風林火山」の旗が印象にあるかと思います。これは武田信玄の軍旗に刻まれた14文字なのですが、古代中国の兵法書・孫子から引用した言葉です。
「疾(はや)きこと風のごとく、徐(しず)かなること林のごとく、侵略(しんりゃく)すること火のごとく、動かざること山のごとし」という「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」の旗でした。
もっと細かく調べていくと続きがあります。「故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、不動如山、難知如陰、動如雷霆[1]、掠郷分衆、廓地分利、懸權而動。」
其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し、知り難きこと陰の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し、郷を掠(かす)めて衆を分かち、地を廓(ひろ)めて利を分かち、権を懸けて動く。以上が軍争篇の一節です。
信玄は血の争いを好みません。相手国を調べ抜いて、勝てると思わないと出陣しないとまで言われていました。勝つ戦いしかしない。武田信玄を怖がらせた一因です。
武田信玄の人物像は、よくある
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