寧々と茶々
豊臣秀吉の正室が、寧々です。「高台院」のこと。
との結婚が決定したのは14歳でした。秀吉とは、政略婚ではなく恋愛結婚だったと言われています。身分の低い武士の父の娘、自分より身分が低い農民の足軽だった秀吉との結婚には、周囲が大反対したそうです。
二人の間に子どもはいなかったものの、仲睦まじい夫婦だったと言われています。秀吉の死後、寧々は彼の側室・淀殿の息子である秀頼の後見にあたりました。
次に身分は上の武士の娘です。茶々は浅井長政と信長の妹お市の方の長女で、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで秀吉に敗れ、父と母は自害し、残された茶々ら三姉妹は、秀吉に、引き取れられることになりました。次女・初は若狭小浜藩主・京極高次の正妻となり、三女・江は第2代将軍・徳川秀忠(ひでただ)に嫁ぎました。
一方、茶々は秀吉の側室となります(1588年頃)。鶴松を産みますが、天正19年(1591)に亡くなってしまいます。のち、次男秀頼を産んで、世継ぎの「母上」となり、正室の寧々をも上回る威厳をとるなっていきます。
茶々の評判は寧々とは反対に悪女的になっているようです。
ちょっとしたストーリーを並べてみましたが、大体こんな内容で世間には出回っているように思います。
リーディングしてみます。
寧々の顔は目がとても印象的。出会いは寧々が何か被害者になっていたか、病気で倒れたかで、秀吉が助けたとかしてように見えます。倒れている寧々が見えるからです。通りがかりの秀吉が何らかの形で助けたのではないでしょうか。寧々は控えめな感じですが、頭の良い人だったと思います。子供は授かりませんでした。
茶々は負けん気が強く、勝ち気な女性らしく言われていますが、ちょっと私は違います。
顔ですが、口が特徴的で大きく見えます。ニコニコして明るい感じがします。しかし、やることは凄い。
まず、子供を二人産みます。二人とも秀吉の子ではないように見えます。一人目は秀吉が命令で〇〇と一夜を共にしてほしいと、茶々に話したように見えます。
他の人となら子供ができると秀吉も思ったのではありませんか?
二人目は秀吉に内緒で誰かの子を懐妊しているように見えます。豊臣家を守るためならと秀吉は目をつむったと思います。
茶々は跡継ぎの子を産む事に執念していたのでしょう。
秀吉もこの家柄のいいこの人なら、我が子を立派に育てると予想したことだと思います。
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